樋口 逸斎 ひぐち いっさい
   

開處誰作伴
蕭然不可鄰
雪宮孤美影
水殿四無人
処を開いて 誰が伴(=友人)を作る
蕭然(=ひっそりとして)(=となり)は不可(=よくない)
雪宮 孤(ひとり) 美影
水殿(=夏の納涼の風趣にあてられた殿屋) 四(=四方に)人無し
25.2p×18.6p

文化9(1812)年生〜明治10(1877)年4月21日歿
 名は曬之・観之、字は子順、通称は昌介・昌之助、号を逸斎と称した。生年は一説に文化12年。
 幼時から父秩山に書を学び、また独自に趙子昂も学んだ。更に頼山陽に経史を学び、詩文も善くした。安井息軒と親交があり。詩文も善くした書家。養子に樋口竹香(樋口敬之:1850-1926)がいる。
 明治3年(1870)秋発行の「書家番付」の大家・名家欄に萩原秋厳・服部随庵・関雪江・柳田正斎・市河萬庵・山内香溪・樋口逸斎・高斎単山らの名がある。
 「逸斎居士」の下に、白文の「観之」、朱文の「子順」の落款印が押されている。

推奨サイト
http://ya-na-ka.sakura.ne.jp/higuchiIssai.htm
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https://kotobank.jp/word/%E6%A8%8B%E5%8F%A3%E9%80%B8%E6%96%8E-1103202
http://www.ic.daito.ac.jp/~oukodou/gallery/pic-2877.html
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